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[ 時代認識のずれ、今の価値観では語れない。]
[ (1) 近代日本史の前提 (2) 日清・日露戦争 (3) 大東亜戦争 (4) 極東軍事裁判とは ]

(1)近代日本史の前提

 まず今の現状に至る経緯について考えてみたいと思います。日本が近代的な国家として歩み出したのは、明治維新によってであることは、衆目の認めるところでしょう。ペリーの黒船来航と幕末の混乱、イギリス、フランスによる我が国への内政干渉やロシアの南下政策、これらの欧米列強の軍事的脅威に、当時の日本国民は大変な驚異と恐怖感をいだいたことでしょう。それらを払拭するために必死に西洋文明の導入に先人たちは努力をしました。それが今日まで日本を動かす要因の一つとなっています。
 次に、以上の背景から明治維新から始まる近代日本史を見つめ直す前提として、以下に記述する要素を考慮するべきと考えます。
 まず最初に、欧米列強による植民地支配圏は、明治維新後も拡大の一途をたどっていました。日本が独立を保ちながら、大国の仲間入りをするまでの歴史は、欧米列強のアジア進出と同じ時系列で起こったことです。北には、不凍港を求めて南下政策を推し進める、当時最大の脅威ロシアがありました。
 次に、このような国際情勢の中で、清(中国)は阿片戦争にて見たように、欧米列強の武力脅威の認識が十分には出来ていませんでした。清国の服属国であった朝鮮においても同様でした。中国人は昔から、自分たちの文明を世界の中心であると考える、中華思想を持っていました。イギリスや欧米などは、世界の果ての野蛮な民族であると考えていて、西洋文明に対して敬意も関心も持たないという傾向がありました。この結果、清はしだいに欧米列強に侵食されていき、領土の保全すらも出来ない状態になってしまいました。
 最後に、日本は260年に及ぶ江戸時代を通じて武家社会であったという側面があり、欧米列強の武力脅威に対して敏感に反応し、西洋文明を積極的に学んでいく姿勢へ政策を転換することが出来ましたが、清国・朝鮮の両国は文官の支配による国家形態でしたので、欧米列強の武力脅威に対して、十分な対応が出来ませんでした。
 以上の前提条件をふまえた上で、日本の近現代史を検証してみたいと思います。



「日清・日露戦争」

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