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[ 時代認識のずれ、今の価値観では語れない。]
[ (1) 近代日本史の前提 (2) 日清・日露戦争 (3) 大東亜戦争 (4) 極東軍事裁判とは ]

(4)極東軍事裁判とは

(a) 序論

 この戦犯裁判が始まるにあたって、日本側が憂慮していたことは、勝者による敗者に対する報復裁判になるのでは?という危惧でした。そのことが阿南陸相たちがポツダム宣言受諾に難色を示した理由の一つでもありました。占領軍は日本の軍隊を解体し、昭和21年5月から2年半にわたって極東国際軍事裁判所を開廷しました。いったいこの裁判は何だったのだろうか?また法的根拠等、もう一度冷静に検証する必要があるのではないでしょうか。
 この極東軍事裁判(一般的に東京裁判と呼ばれている。)の事を、口にするだけで白眼視したり、危険思想の持ち主であるかのごとく誹謗中傷されます。まさに、米国をはじめとする連合国の思想誘導に、はまってしまっているのではないのでしょうか。
 この極東軍事裁判には、様々な問題点が内在しています。その中から何点かの検証をして行きたいと思います。近年、様々な書籍が出版されていますので、詳しくは参考資料としてあげた書籍にて、考えて頂きたいと思います。


(b)極東軍事裁判(以下東京裁判と記述する)の意義

 物の見方には様々な視点があって当然だと思います。これから述べていく事はあくまで私の私見であり、他の解釈があって当然だと考えています。ただこの様な思想もあるのだと、色々な角度から東京裁判を見直す事が、日本人としてアイデンティティを取り戻す一助になればと思います。
 日本を侵略国と決めつけた東京裁判における有罪判決によって、それまで築き上げてきた日本の伝統・文化はことごとく否定されました。日本の歴史はゆがめられ、大東亜戦争の真実は封印されてしまいました。
 東京裁判以後、我々日本人はある種の罪悪感を植え付けられ、誇りある歴史や伝統文化を否定的に考えるよう教育されてきました。その結果、大多数の日本人が自虐史観にさいなまれ(気が付いていない国民がなんと多い事か)日本民族としての誇りや思想を失い、日本人としてのアイデンティティをどこかに置き忘れてしま
っています。
 では、東京裁判とはどのような裁判だったのでしょうか。東京裁判とは俗称で正式には、『極東国際軍事裁判』といい、昭和21年5月から昭和23年 1月の判決までの2年半、東京の市ヶ谷陸軍士官学校跡地において開廷され ました。日本の罪状は、昭和6年に勃発した満州事変までさかのぼります。 満州事変から、大東亜戦争にいたる日本の行為を、連合国側は侵略とみなし て占領軍(GHQ)のマッカーサー司令部が作成した『極東国際軍事裁判条例 (チャーター)』に基づき、戦争犯罪人を起訴しました。
 『法律の無いところに 犯罪はなく、法律の無いところに刑罰はない』これは法治社会の大原則です。法律無くして人を裁き、法律無くして人を処罰することは、リンチとなん ら変わりありません。ところが東京裁判においては、法律の無いところに無理 矢理『裁判所条例(チャーター)』という事後法をつくり、法律の不遡及の原則を無視してまでもこれを裁いたのです。勝者が敗者の大将をさらし首にし、 敗戦国の兵士や婦女子を奴隷にしたり、略奪した昔の無法な時代とどれだけの相違があるというのでしょうか。


(c) 極東軍事裁判の法的根拠

 この東京裁判は国際法を無視した違法裁判であったと、言えるのではないで しょうか。連合国側の復讐の欲望を満たすためだけに、法律的な手続きをあたかも踏んだように見せかけた、国際正義とはかけ離れた儀式化された、復讐劇であったと思います。
 確かに多くの日本人の感情として、戦争遂行者の戦争責任を追及する事は当然だと考えているでしょう。そのこと自体はもっともなことだと思います。し かし、それは感情論であって、道義上の問題ではないでしょうか。
 私たちは、文明社会に生きているわけであって、道義と法律とを混同してはいけません。東京裁判は、あくまで裁判であるならば、法に基づいて裁くものであって、感情や道義で裁くものではありません。仮に一般的感情論で逮捕され処刑されるような事があるならば、それは文明社会とも法治国家とも言えない、野蛮な無法未開の、国家たるを得ない集団としか言えないのではないでしょうか。
 『戦争』そのものが、侵略戦争であろうが防衛の為の戦争であろうが、罪悪であると大多数の人は考えていると思います。ですが過去も現在の国際法においても、『戦争』を犯罪であると規定する法律は、何処にもありません。それのみならず国際法においては防衛の為の戦争を容認し、認めた上でその方法論にのみ様々な規定をもうけているのです。
  高柳賢三氏の著書『極東裁判と国際法』のなかに、「道義は主体性を基礎とするが、法は相互主体性を基礎として成立するものである。道義は現実の世界を超越した高い立場に立つことによって、その価値は高まるのである。しかし、 法は現実の特定社会に妥当するような規範であるところにその価値がある。」 と論 じています。道義や感情論は、そのまま法律とはなり得ないのであって、 また、裁判はあくまでも法律に準拠するものでなくてはならないのです。
 戦争に勝った国が、戦争のいっさいの責任を負けた国の指導者や国民に負わせて、戦勝国に都合の良い敗戦国だけを裁く、急ごしらえの法律を作成して(事後法)、これを昔にさかのぼって裁いた裁判が東京裁判です。国際軍事裁判というもっともらしい名称で体裁を繕い、法律の名をかたって復讐心を満足させることと、占領政策をし易くする為の効果をねらった欺瞞性は、人類の二十世紀における最大の汚点の一つと考えられます。


(d) ラダ・ビノード・パール判事について

 パール判事についてはご存じの方も多いと思います。東京裁判にて11名の裁判官の中でただ一人日本が戦争に至った経緯を丹念に調べ上げ、この裁判は勝者が敗者を一方的に裁いた国際法にも違反する非法・不法の復讐劇だったとして、被告全員の無罪の判決を下しました。また、南京事件についても徹底的な検証を行い、松井石根陸軍大将の名誉を回復させる無罪判決を下しました。残念ながら松井大将は絞首刑となってしまいました。
 パール判事は戦勝国アメリカの罪についても、鋭く追求言及しました。特に広島・長崎における原子爆弾の使用については、アメリカ側の有罪を立証して見せました。
 パール判事については、語り尽くせないほどの功績・逸話があります。つい最近小学館文庫より、田中正明氏の著書で1963年9月に慧文社より刊行された『パール博士の日本無罪論』を文庫化した、『パール判事の日本無罪論』が発刊されました。ぜひ、一度手にとってごらん頂きたい秀作です。日本人が忘れてきたものが何だったのか、教えられることが沢山書かれておりますので、パール判事につきましてはそちらを参照されたく思います。


「教育問題」

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